子どものありのままを受け入れる

息子は神経発達症(発達障害)と診断されてから、放課後等デイサービスを利用しています。

つい先日、受給者証の更新手続きのために相談支援専門員さんと面談をしました。約3時間半にもおよぶ面談(面談時間の最高記録を作りました!笑)の中で『息子のありのままを受け入れる』とはどういうことなのかについて、自分自身に大きな気づきがありました。

恥ずかしながら、私は息子のありのまま(神経発達症や不登校を含めて)を受け入れている方だと思っていました。それが、まだまだだったな…と(笑)

息子は小学校に通っている時から、聴覚優位なのか

『は』と『わ』

『お』と『を』

『え』と『へ』

の区別が理解できていませんでした。

写真のように今でももちろん区別ができていません。

それをどうにかしたいと悩み、色々と学習を試みたり塾に行かせたりした時期もありました。それでも無理なものは無理でした。逆に息子に混乱を与えてしまったなと反省しているくらいです。今では、文章は読めているので、いずれ本人がその法則に気が付く時がくるだろうと思って待つことにしていました。それよりも、息子が文章を書く(今では打つ?)という行為を好きになって欲しかったので、細かい指摘はしないように心掛けていました。

最近は、大好きなユーチューバーの生ライブなどにコメントを打ったりして楽しんでいます。私とも、夜な夜なSkypeのチャットでやりとりするのを楽しんでいるようです。私の寝不足以外、ここまでは一安心です(笑)

ただ、私が引っかかっていたのは、区別ができないことから、文章を書いた際に周りから馬鹿にされいじめられないかということでした。今はまだそのようなことも無さそうなのですが、いずれは本人がぶつかる壁だと思っていました。その時がもしかしたら息子の学ぶ時かも知れないので、それまで待とうと思っていました。息子は私から教えようとすることをとても嫌がるため、自分から学びたくなるまで待つスタイルを何に対しても貫いています。これは忍耐以外の何者でもありません!(笑)

我が家はそんなスタイルなので、面談の際には支援利用計画書にこれといって書くことがないのではないか??と思い、あえていうなら『わ』と『は』などを理解できるようにして欲しいかな?という話をしました。そこで、そもそも教えたり訓練したりする必要があるのか?と疑問になり相談をしたところ、思いがけない回答が返ってきました。

『区別できないことをゲーム感覚で楽しめたらいいですね!』

ゲーム感覚??って、私の硬い頭ではゲーム感覚で教えるってことかな??なんて思ってしまってその手法は?!という思いで質問すると、

『例えば、SNS等のニックネームや紹介などに『わ』と『は』を区別できない○○です!のように逆に周りに楽しんでもらうんです。』

……!!!!!

その回答を聞いて私はなるほどーー!!!と思いました。すとーんと腑に落ちる、もやもやした霧が晴れるという感覚です!これは久しぶりの感覚でした!!

あぁ、そうか。

別に区別できなくてもいいんだ。

理解できる人に変換して読んでもらえばいいんだ。

無理に理解させようとしなくていいんだ。

息子をありのまま受け入れるとはこういうことか…と。

多様性を受け入れるとはこういうことなんだ…と。

どうにかしたかったのはいつも私だったんです。未来に起こるかどうかもわからない私の不安のために、息子が望んでいないことをまたやらせてしまうところでした。

『わ』と『は』が区別できない人がいたっていいじゃない。区別できない人がいて当たり前だし、それを本人が困ってないのに無理に理解させなくなっていいじゃない。

理解できないことはかわいそうなことでも、恥ずかしいことでも、不幸なことでもないじゃない。

その人のそのままを受け入れる世の中こそ、多様性だった!

私はとても晴れ晴れした気持ちがになりました。

多様性って本当に誰しもが生きやすい世の中なんだって。優しさに溢れている世の中なんだって。

息子のありのままを受け入れたらいい。

本当に本当に全てはシンプルなことだと最近つくづく思います。

どうして、シンプルなことが私たちにはできないのでしょうか??

ずっと自分に問い続け、そして、たくさん失敗しながら、息子と共に歩んでいけたらと思います。

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